昭和45年10月16日 夜のご理解



 今日お昼に控えに下がらせて頂いとりましたら、久富さんと高橋さんが控えに見えられてから、親先生、昨日頂かれたこの椅子は、先生あの梅鉢紋がこんなに大きく幾つも入っとりますよというんです。それが図案化した、私の鉢のない梅がこんなにも大きく幾つも入っとるんですよはっきりと。私は全然気が付かなかった。うわぁこれはお供えした方がこれを聞かれたらまた、昨日も持って来て親先生が喜んだと言うて喜ばれたが、その上しかも親先生の御紋が入っとったとなんて言ったら又喜ばれるだろねというて。
 私もまあ何時もの事ながら神様の微妙な働きに何時も恐れ入ってしまって、有り難いと思うた事ですけれども。間違いなしに神様の御都合なんです、大坪総一郎の為に作って下さったとか、ここに来なさる事の為に出来ている事は間違いと。それが分かる時に、神様がどんなにか満足して下さるだろうか、喜んで下さるだろうか、私はそう思うんですよね。だから信心というのは本当に神様の御都合だけじゃなくて、神様の御都合が分かる所に有り難い深さというか。
 広さというものが愈々有り難いものになって行き、色々有り難いものが深いものになって行くんですよ。例えば今晩は内田さんとこのご主人の御発ち日だったんです、丁度昔は十月の十六日で御座いましたからね、御大祭が、御大祭の御直会を頂き終わろうかという時に、けたたましゅう内田さんが具合が悪くなられたというお届けがあったんですけれども、本当に考えてみると、神様の御都合だな、当時の椛目のこういう有り難い御日柄の日にお国替えが出来るとかされるというのは。
 何か深い御神意があるのだと云う事を思わせてもらうわけで御座いますがね、もうあの時は随分体も悪くて、もう休んでおられましたのが、あの日は御大祭に御参拝になってあの狭い御広前が、それこそ立錐の余地もない様に一杯ですから、裏の二階に上がる所に幕がこう降ろしてありました。それが前はもう座れん、一番後ろの所に立ってから私のお話を聞いておられたが、一つひとつ、いっちょいっちょ合点しながら有り難そうに立ってお話を頂いておられた事を私は今でもはっきり記憶しておりますが。
 私はこうやって御説教終わって、下がらせて頂く時には丁度役者が楽屋に入る時の様に幕をこう上げなきゃならん、それを内田さんがパッと上げて下さってから、私は中に入ったんです。そしてその日の御直会がお赤飯でした。今まで頂かれなかったのが、もう今日のお赤飯はとても美味しかったと言って、ひと折り頂かれてしまったと言う事、しかも立ってお話を頂かれるほどしに、一杯の中に、帰りがけに。甥になります宮崎友足さんと帰らせて頂きながら。
 おい友足今日のごと有り難いお祭りはなかったと、親先生の話の今日のごと有り難い事はなかったと、そうに有り難い有り難いと言われながら帰ったと。それから間もなくでしたらからね、成る程お医者さんが見えてから、急死をなさった、ショック死じゃろうと、間違いなくそうだろうと、医者のどうのこうのと思わんでもなかったけれども、しかしそれも神様の御都合だという事ですよ。
 信心頂いておるおかげで大祭のあの雰囲気の中の有り難い有り難い、今日の様な有り難いお祭りはなかったと有り難うなられ、しかも何日も食べられなかったのが、しかも固いおこわがね頂かれる、美味しかったと、本当にこんなに有り難い御大祭はなかったと、親先生のお話が有り難かったと云うて。その有り難かった有り難かったを言い暮らしてからね、その中に有り難い有り難いお国替えが出来られたと云う事などを思うて見ると、本当に神様の御都合だったという事が今にして分かるのですよ。
 だからその御都合がね、御都合として分かると言う所にね」、神様が満足して下さる、御霊様も言わば犬死にじゃなかった、そこが分かってくれたかと言うのじゃないでしょうかね、私共がそういう神様の御都合をね、分からして頂くというおかげを頂かしてもらう。又その御都合が分かるところに、今日改めて今日私が頂いた椅子が、私の紋が一杯模様の中に入れてある。
 他には何にもない、こんなに大きな梅の鉢が濃い水色に白く模様になっておる、大きな梅鉢がこん中に入っておる、今日改めて高橋さんが言われるのを聞かして頂いてから、昨日も有り難かったけれども、今日はもう一段ひとしお、神様の御都合と大坪総一郎一人の為に、神様がもう何年も前からこういう御演出を頂いておったのかと思うとその有り難さが、また愈々いっそう深いものに広いものになるでしょう。信心とはそこのとこが分かって行く事だと思うですよね。
      どうぞ。